万博とミャクミャクと私
万博後半の話をまだ書いていないけど今書きたいのはこっちだから書いておこうと思う。
私とミャクミャクとの出会いはどうだったのか。
かつて万博の公式ロゴとしていのちのかがやきくんが発表された時にわたしはとんでもねえのがきたなと思いました。好きとか嫌いとかの前に、異質。この一言に尽きる。
うーん、いのちのかがやきか…なんというか特級呪物めいたアトモスフィアを感じる。なんて思っていたらあれよあれよという間に新しく大阪関西万博公式キャラクターとしてミャクミャクが発表されるに至っていた。

気持ち悪いだなんだの前にぼかあTwitter廃人なんで、どうしてもTwitterのドブ川に住んでるみんなの意見や声を耳にすることが多い。
おそらくわたしのタイムラインに流れてきていたのはネタ化だ。ミャクミャク様と称し人々から崇め奉られる対象としてのミャクミャクしか見ていなかったから、ネタとわかってはいたけどなんだかすごいなあ、という感想で、個人的には可もなく不可もなく、注目されていないよりいいんじゃないか、くらいに思っていたし、なんなら万博開始ぎりぎりまでパビリオンが出来ていなかったし建設費だなんだのの問題で「本当に開催できるの?やばいんじゃない?」という考えの方が上回っていた。実は当時は若干アンチに寄っていたと思う。理由はだいたいお察しの通り、このインターネッツが発展した世の中でリアルなイベントにどのくらいの人が来るんだろうか、と思っていた。
もちろん生で見ることの凄さは身をもって知っている。それに一番は、大阪遠いんだよな…だった。
三十路越えてはじめてユニバに行った人間だ、面構えが違う。
ついでに刀剣乱舞のオタクなので、2025年はサービス開始10周年、2024年11月くらいから伯仲推しは何故かすりおろされる様に殺されていたのでこの年はきっと無事では済まないな、と思っていた。
案の定1月は大本丸博、2月は刀ステ十口伝(山姥切長義出陣)、と3月まで足利市立美術館で伯仲燦然。足利が終わったら次は名古屋の徳川美術館で伯仲燦然があるとお知らせがあったから今年の遠征は名古屋一泊かな〜なんて当時は思っていた。
そう、わたしの中で万博は【遠いし行けなさそうだしまあまたにほんでやるっしょ】みたいなニュアンスだった。
あの時までは…。
ある日、高校の時からの付き合いのまんばクラスタの友人と「今回もまんばちゃんと足利に出張に来てくれた長義さんに会いに行こう!」と約束を取り付けゆっくりと展示を見ていた時だった。
静謐な部屋に鎮座する国広の刀と長義の刀。独立したケースに展示されているためか360度全てから見渡せるとんでもなく親切設計。
二振りの間に立てば主のように、鋒から見れば切られる敵のように、茎のほうから見れば振るうための力を貰える…そんな贅沢空間。推しと同じ空気を吸う。わたしにとって何にも変え難く贅沢なこの時間を、制限はあれど穏やかに味わえるのは本当に喜びに満ちていた(だから徳美のときは仕方ないけどチョト残念と思ってしまった)
そんな二振りを堪能していると、たまたま斜め前でまんばちゃんを見ているお姉さんの鞄に
いたんだ
赤と青のアイツ
ミャクミャク
わたしは衝撃を受けた。
グッズあんのかい!
いや違くて!!
なんだこれ!!!
最推しを味わうために同じ空間に居て同じ空気を吸って、幸せいっぱいだったのに、この目は、この心は!
何故かお姉さんの鞄についているミャクミャクに目がいってしまう…!
オタクとしてあってはならない、この由々しき事態にわたしの頭は本当に混乱していた。
まじでポルナレフ状態である。
あ、ありのままに起こったことを、いま、話すぜ…!(以下省略)
貴重な展示を見る時間が終わり、足利市立美術館を後にしながら帰り道に友人に「ミャクミャクに目を奪われていた〜!」と嘆くと友人も目には入っていたらしい。
そこからわたしはなんというか、ミャクミャクのことを気にしてしまうようになる。
ミャクミャクは気になるけど万博にはまだ懐疑的だったわたし。一応どんなもんじゃいと開幕式は仕事の都合で途中までリアタイしてました。
内容は悪くないな〜なんて思いつつ、テレビでは万博に足を運んだ人にインタビューしていたりなんだり、という感じで、たまにミャクミャクグッズ爆買いしてる人が写ったり、テレビに出る人がミャクミャクグッズを身につけているたびに多分きっとサブリミナル効果的なものがわたしのなかで爆発したんだろうな、と今になって思います。
4月の半ば、昔っからのフォロワーさんと東京での遊びが終わりしばらくして、ミャクミャクのグッズなんて東京では売ってないんだろうな〜、なんて思い検索したら
東京にもあるやんけ!!!

母を連れて行きたかった施設や店もあったから、4月末日に母親を連れて東京のオフィシャルショップに足を運んでいました。
ここまできたらもう止まんねえな…!




ああ^〜かわいいんじゃあ^〜
ミャクミャクのグッズを爆買いして満足。そして味わう万博価格…。
だがここまででもなおまだわたしは万博には行かないだろうな、とも思っていた。とうらぶとコラボしたりしていたけど、名古屋が控えてるし刀ミュの東京ドームもあるしな、なんて。ちなみに刀ミュのドームは全落ちでした。
そしてその約1週間後
今度は高校の時の友人を伴いオフィシャルストアに行くこととなる…。
そこで、わたしは散々悩んだ末ある品物を購入した。
スタンプブック
これを買ったらもう最後、万博に行くしかないのである。もう後戻りはできない。
万博は10月の中旬まで。仕事の休みの都合。母の抗がん剤治療の都合。わたしの推し活的スケジュール。万博に行くのは4月5月がおすすめと教えてくれるミャクミャク…。
結局色々クリアして万博に行けたのは9月半ばになってしまったしなんなら帰って荷物置いて少し休んだら出勤だったからなかなかのハードスケジュールだけど行ってよかったな、と。
今思うと万博会場に行ってミャクミャクハウスに並べば誰でもミャクミャクと写真が取れて個別ファンサまでしてくれるなんて、本当に贅沢だった。今は人気すぎて写真だって抽選、個別ファンサなんて夢のまた夢状態かな、と。
だから本当にミャクミャクのオタクとして万博に行けてよかったし、ミャクミャクと写真撮り終わってハグをした時に「よく頑張って来てくれたね。会えて嬉しい。ありがとう」と言ってくれたみたいで、結構ガチで泣きそうになりました。
でもね、本音を言えば
またミャクミャクに会いたいよ〜〜〜〜!!!!
2025年のさようなら
今年のッ!
まとめッ!!
1月ッ!
プライベートはひたすらうんち!!!!!!
付き合っていた女性と疎遠気味になる(なんとなく終わるなあというのを察して正月早々塞ぎ込みひたすら星降る王国のニナを読み漁っていた笑)
刀剣乱舞大本丸博に参加。いやあ十周年、めでたいめでたい。いずれこの身に起きる死刑宣告を受けて「おお金よ……」と祈る。がんばれ来月の自分。魔法のカードは君の手にかかっているッ!
自宅にあるわんぱくまんばちゃんとちょうぎさん、もちもちたやたや、他いろんなまんばちゃんを片手にうろついていました。そして発表される山姥切長義極。前年12月から丁寧に殺される伯仲村の住人のたいへんな1年の幕開けであった…。
2月ッ!
かねてよりファミマから発売されると聞き予約していた伯仲恵方巻を取りに行く。わたしは無事に受け取れたけど大変だった人もいるみたいだ。
そして始まる、足利市立美術館と徳川美術館によるコラボ展示『伯仲燦然』
熱望していた本科・本作長義の足利展示!とてもうれしい!
長義さんは2015年に名古屋で一度、京のかたな展(2018年)で二度目を見ていて、今回が個人的に三度目。結局何回見に行ったんだっけ…2回か3回だったかな…。行きたいお店とかワークショップとかも体験できて良き良きのよき。基本的に事前予約制だったのでゆっくり穏やかに見ることができました。
そして私はここで衝撃的な出会いを果たす…
あしかがフラワーパークのイルミネーションも奇麗だった。また行きたいなあ。そしてわたしのレベルもまたひとつ上がりつつ、舞台刀剣乱舞十口伝を観に東京へ。本当に伯仲漬けの2月だった。
3月ッ!
付き合っていた女性と本格的に終わる!サヨナラ!わたしはしめやかに爆発四散した!ナムアミダブツ!
やっぱりまた足利に行く。足利大好き!ずっと足を運びたかったお蕎麦屋さんでもちんばちゃんを労働させてあげることができた。良き。やはり伯仲漬けだった。
4月ッ!
いつも行ってる寺の桜が咲いたらしいので今年も参拝。相変わらず奇麗だったのでまた次も参拝したいと思う。
なかなか遊ぶことが叶わない十年来のインターネッツ友人と遊ぶ。今回は曜変天目茶碗を観に静嘉堂文庫美術館へ。昼ご飯どうしようかと悩んでいた際に少し前にTwitterでバズっていた象印食堂へ初めて足を運ぶ。とんでもなくご飯がうまい。何杯でもお代わり自由とか神すぎか。しかも象印のフラグシップモデル炊飯器で銘柄米でなくブレンド米を炊いているというとんでもない代物でとにかく美味い。煉獄さんのごとく美味い美味いと叫んでいた。トッモ氏とはまた遊びたいなと願っている。
あまりにも美味すぎたのと曜変天目を母に見せたかったので末に再訪。そしてわたしはついにあの店に足を運ぶ。
大阪関西万博オフィシャルストア大丸東京&丸の内オアゾ
大丸東京のほうは省スペースみたいな感じだったけどオアゾのほうは広くてたくさん、たくさん、ミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャク
5月ッ!
工房の時からのトッモと刀剣博物館へ。水心子正秀没後200年記念ということで江戸三作を心ゆくまで堪能しました。あまり馴染みがなかったけれどとても勉強になりました。また足を運びたいなと。両国は何度か行ったことあるけどちゃんこ鍋は食べたことがなく、おいしくしっかりいただきました!
そしてやはりミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャク
もちマスストアで頼んでいたでっかい山姥切長義が来る。そしてもちマスくじ王で爆死した笑
6月ッ!
十年来の付き合いのあるTwitter友人と初めて遊ぶ!
場所はずーっと行きたかったチームラボプラネット東京!めちゃくちゃ映えがやばいのと外人多くて笑ってしまった。食べ物がラーメンとデザートくらいしかないのはちょっと盲点だったけれどそれでも楽しかった!お絵描きコーナーでは大傑作『アジフライフライ』を描く。
7月ッ!
時間も世界も超えてゆけ!み~んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ
GET WILDやばいなと釘付けになってしまった…。
そして舞台刀剣乱舞士伝を観に東京へ。トラブルがあり私の見る回の前まで中止という状態で正直できるのかできないのかと不安になりながらも幕が上がった。人生初めてのカーテンコール後の挨拶がまずは謝罪だったとういうなかなかにレアケースを体験したと思う。普通の人は初演や千秋楽とかだと思うから尚更。
そしてその一週間後名古屋にいる。ナンデ。
というのも2月から続く『伯仲燦然』。名古屋の徳川美術館では前期のみの展示とのことでええいままよと日帰りの強行軍を決行しました。
名古屋は暑かった…。
徳川美術館でいろいろ見たりコラボ企画を打ち出している大曾根商店街に頑張って徒歩で足を運んだりして、滞在時間は短かったもののぎゅぎゅぎゅっと満足行く名古屋遠征になりました。さすがにミャクミャクできなかった……
地元でデコトラ展示をやっていると耳に挟んで見物に。圧巻だった。
めちゃくちゃ行きたかったミュージカル刀剣乱舞東京ドーム公演は見事外れたので工房時代のトッモを誘ってライブビューング参加。伯仲推しワイ無事に焼かれる。こいついっつも死んでんな…
8月ッ!
工房時代のトッモの付き添いで忍たま乱太郎の体験展に東京ドームシティに行く。おっ先月行けなかった場所だな?
知ってるキャラはは組とメジャー教師陣。先輩は滝夜叉丸先輩しか知らないけどなかなか楽しめたしコラボご飯はおいしかったです。とうらぶでは鬼退治していました。
9月ッ!
大阪よ!わたしは帰ってきたッ!
二泊三日で万博に足を運びました。といっても帰ったその日に出勤だったんで実質一泊二日…。ブラック過ぎない?
たくさんたくさんミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャクミャク
出来たのでもう本当に満足!満足だけどあの予約はなんとかしたってや~!と思いました笑
10月ッ!
母が入院して下旬に退院したので生きてるだけで精一杯でした。何なら死にかけてますしね。先生曰く、がんで死ぬか副作用で死ぬか、というところらしいので、のちの12月に再開しましたがめちゃくちゃ慎重です。
11月ッ!
万博飯をこじらせて世界の料理のレシピ本を買う。10月頑張った自分へのちょっとしたご褒美的なあれで。
ミュージカル刀剣乱舞乱舞博覧会に東京ドームシティに行く。7月末に行きたかったな…。
少し前に仲良くなったTwitterトッモがドームシティに来てくれるらしいので急遽オフ。わたしが買えなかったいくつかの商品を買ってきてくれたので金額をお支払いしてもぐもぐ。めちゃくちゃおいしい!トッモありがとう~!わたしの終電チョト前までカッフェーでお話してました。
12月ッ!
6月に会ったTwitterトッモと人生初のクリスマスマーケットに遊びに行きました。ご飯はおいしくてグッズも素敵なものが多くて、ワークショップで固まるハーバリウムクリスマスリースとか作ったりできたので充実の一日でした。
そしてミュージカル刀剣乱舞は今年一年ほぼほぼ縁がなかった。どういうことなの…?
新作公演はライブビューイングに賭けたいので抽選頼む~!
総評ッ!
出会い、別れがあった1年でした。いやあしんどいなと思ってもしんどさを塗り替えてくれるような…なんだろう、すごく外側な出来事が多くて、自分の戦場はもしかしたら恋愛的な場所ではなくもっと違うところなんだろうかと思いました。
まあどのみち年齢的なものに加えて親の介護というか看病をしているので、正直な話ダブルケアはきついんよ。というわけで子供もそうだし結婚も、彼氏なんしパートナーみたいなものも諦めている感じです。どのみち一人っ子なんで痛くも痒くもねえ!親が死んだら天涯孤独じゃい!孤独を友とせよって教科書で習ったゾ。
そんなこんなで今年一年お世話になりました。なんかまあ人生踏んだり蹴ったり七転八倒七転び八起きだなあとしんみり。だけどいろいろやりたいこととか増えたりしたのでそれでもあがいてもがいてぬるぬるしていくしかないんじゃないかな、と思います。
そんなこんなで今日よありがとう、そしてさようなら。過去には戻れないけどきっといつかヌルの森には帰るよ。
大阪万博に行って、きたー!(前編)
過日、ついについに大阪万博に行ってきました!
いやあ、北関東からは遠い遠い。しかし自宅からホテルまで時間で見れば5時間程度。近いのでは?という錯覚を起こしそうになり。ただし移動は全て新幹線の場合。在来線が入るとやはり6時間なので遠いのだと思います。
関東勢で通期パスの猛者もいると聞き戦々恐々。恐るべし万博、と、そう感じました。
4月終わりくらいからずっと万博行きたい行きたいと職場にゴネて(笑)、母の病院、自分の推し活的都合も考慮しつつやっと行けた9月の10日、11日、12日。初日は夜間券、次の日は一日券というユニバスタイル。最終日はブラック職場の都合で夕方から出勤の命がくだり昼には大阪を発たねばならんので最終日はほぼ移動でした。
今死に券だとかなんだとか話題になってますが、少なくともわたしが予約した8月末の方は普通に買えましたし、開幕当初からミャクミャクが必死に「大阪万博への来場は4月、5月がおすすめ!」と東京駅の看板で必死に訴えてたし、なんならお盆過ぎくらいから「駆け込み万博にご注意ください!」と言っていた。今になってここまで混むとは…。9月のそこそこ早い方に行っておいてよかったな、とも。
さてまずは兎も角チケットと宿の手配。水曜日は夜間券だから良しとして木曜日は…流石に9時10時は既に満員だったので11時を予約。そして次には宿と新幹線。いつも使ってるセットプランの予約会社他数社と見比べて、夢洲へのアクセスと金額を計算してその日中に即決。出だしはまずまず。宿、往復新幹線の席を決めて万博チケットのところを色々うろうろしていると7日前予約なるものがあるらしく、とりあえず予約抽選に参加。何かに引っ掛かるだろうと思っていた。後にこの認識が甘いことに気づく。
7日前予約の当落を確認すると見事に全落ち。しかしミュージカル刀剣乱舞で鍛えられているわたしには問題なかった。気を取り直して3日前先着へのアップを始める。
そして3日前先着。早めにログインしようかな、なんて思い23時半くらいにアクセスしたらこの時点で45分くらい待ち。どういうことだってばよ…。わたしは宇宙猫になった。ヨシ!
ログインに長引いて0時20分ごろにログイン。パビリオンを選ぶぞ!と意気込み検索欄で【すべて】
…そして待ち時間へ。
なんじゃこりゃ!笑
結局まともにアクセス出来るようになったのは深夜1時前。当然ながらすべてのパビリオンは満員御礼!デスヨネ!
これに学び次の日はもっと早めにログインして0時に待機。22時半くらいにはログインとか済ませてた気がする。そして0時5分か10分くらいでアクセスできた気がする。行きたいパビリオンの予約は…
出来ませんでした!!
何の成果もありませんでした!!
こうなってしまったら仕方ない。予約不要の行きたいパビリオンや見たい展示を見る方向にシフトします。
パビリオンもそうだけど一番楽しみにしていたのはミャクミャクと写真を撮ること。
ミャクミャクハウスで写真を撮れるとは聞いていたものの先着なのか?とか、グリーティングの回数が少ないのでは?などと思っていましたが、これは杞憂に終わりました。この話はまた後に。
というわけでわたしの万博の目標?は
・ミャクミャクと写真を撮る
・ミャクミャクくじを引く
・大屋根リングに登る
・コモンズで変な楽器を叩く
・スタンプラリー
・職場の本店が出してるらしい店と飲食店に行く
だいたいまあこんな感じでざっくりとしたものに。
わたしの旅行や遠征はだいたいざっくりとしたもので予定は未定。旅のしおりとかなにそれ食えんの?状態。かっちり決めるタイプの人がこのプラン見たら発狂するかもしれない。すまない。
そんなこんなで9月、万博の本を買ったり慌ただしく荷造りをしたりギリギリに非公式地図を印刷したりし、あとはお風呂に入って寝るだけ…と思ったその時。
その日、わたしは思い出した。Twitterのフォロワーさんからお手紙(物理)を貰っていたことを…。返事を後回しにしていた情けなさを…。
というのも、母が抗がん剤の投薬中の暇を潰すために準備をして病院に持って行っていたものの、好中球(働く細胞でいう白血球さん)の数が少なく投薬不可になっていたり、わたしの睡眠時間の短さで手紙を書く以前にノックアウトからの寝落ちしていたりで書けずじまいでいたのだ。
というわけで急遽【万博会場から手紙を出す】というミッションも追加。どうやら調べると消印の判子がミャクミャク仕様になるとのこと。やったぜ。急いで鞄にレターセットと買ってあった切ってをファイルにまとめてぶち込む。兎にも角にも準備をして足りなければ現地調達!の意気込みで風呂!就寝!
明朝(というか日付はとうに変わっているのだが…)6時前に地元駅を出発!8時過ぎくらいに東京駅に着。
家から軽食は持ってきていたので、更に軽食、飲み物、シンカンセンスゴイカタイアイス。東海道新幹線に乗る時はシンカンセンスゴイカタイアイスはマストだけど自販機になってからそんな固く無くなった気がする。昔は熱海くらいでやっと良い感じになってきたのに今では新横浜くらいでなんとなくカッコ悪い。何故なんだろうか。あの硬さがいいのに。
そして爆睡!折角2人掛けの窓際座ったのに富士山も見ずに寝るとは最早東海道新幹線も移動ツールとかしか見れなくなるのかしら。
隣のお兄さんはパソコン出してなんか仕事してました。重要そうじゃなさそうだけどええんかと。
暫くしてるとようやっと大阪に到着!あっついねえ大阪。ここまで書いてきて気付いたんだけど途中まで書いた文字が消えてることが判明した。かなしい。
ホテルのチェクインが15時なのでそれまでは少し大阪観光……なんてそんな時間は無いです。わたしの目的その2。万博会場外オフィシャルショップを巡ってミャクミャクグッズをお迎えすること!
とりあえずホテルまでは実際のところ本町駅付近のビジホを予約していたので御堂筋線で一本なんだけどあえて遠回り。
まずは手始めに新幹線ホームのオフィシャルショップ。そして新大阪駅在来線改札内。

おともの我が家のミャクミャクことみゃくとパシャリ。
フォトスポット的なものがあり遠巻きに取ってたらボランティアの方に声をかけてもらいわたし、みゃく、スタッフのかたが用意してくれたミャクミャクぬいと写真を撮りました。
オタクあるあるだと思うけれど自分が写ることを妙に嫌がるあの現象。実は去年までわたしもそうでした。それが友人と一緒にユニバに旅行に行った折、スパルタ的に改善?されて、今ではとりあえず写っとくか〜みたいなノリで写真に写れるようになりました。正直自分のビジュはゴミだと思うけれど、旅の恥はかき捨てってね。
しかし大阪。駅に降りた瞬間から活気がすごい。関東圏に住んでるから尚更そう感じるのかも。商人の街、人々の話す方言が余計そう思わせるのかもしれない。
新大阪駅をあとにし大阪駅へ。大阪駅改札外のオフィシャルショップを見てから大丸へ。

スタッフの人にお願いして撮らせてもらいました。その後ちゃっかり自分の写真も笑
大丸でもパシャ

お腹が空いたので大丸の中で食事。ハンバーグうまうま

いつものメンツとみゃく。
食事も終えてぼちぼちホテルに移動。お腹も満たされてハッピーハッピーハッピー。マンホールミャクミャク。

15時ちょうどにチェックイン。ここが当座の我が家よ。荷物を置いたり整理したり。少し休憩して16時ちょっと前に出発。電車に乗ってるだけなのにすごくわくわくしてる。
夢洲駅に着く少し前に、電車のアナウンス「次は、いよいよ夢洲です」これを聞いた時についに来たんだな、と。来てよかった、生きててよかったと、もう感極まってました笑
そして流れる『この地球の続きを』
もうね、最近涙腺が緩いせいか誰もいなかったら泣いていたかもしれん。
夢洲につき、これが噂の迫り来るミャクミャクが見れるサイネージ…。
そして…


ゴクリ…これが噂の阿部寛…。ありがとう象印…わたしは信者です…。象印食堂、東京にもあるのでぜひみなさん食べてみてくださいね。炊き立てご飯食べ放題!おかずもうまうま。まじで神食堂。

東ゲートから入場!16時すぎに着いて30分くらいかな。これは早い方なんだろうかと思っていたら近場の人から「今日は早いねえ」とか言っているから早い方なんだろうなと。
そして会場内へ。
会場内は、ものすごかった。スケールの大きさ、熱気…わたしは東ゲートから入ったらすぐ大屋根リングがあるのでは?などとたかを括っていたがそんなことはなかった。
飲み物を飲み干してしまったのでまず弊社(笑)へ。水の価格は通常通り。正直ユニバ内の300円だったからそのくらいかなと思っていたけどなかなか良心的でした。でも中で売ってる品物はもうすこし考えたほうがいいぞ。
とりあえず始まりのスタンプがあるので探す。見つけられなかったので結局グーグル先生に聞いて場所を探しスタンプぽん!

おむかえミャクミャクもとい土下座ミャクミャクをパシャ。

少し歩いて、やっと大屋根リングが見えてきて…大屋根リングの下に入ると日差しが和らぎ、海からの涼しい風がすっと入ってくる…。これは、きっと会場でしか味わえない空気感のひとつ、なんだろう。この時点でなかなかの満足感を感じていた。

さてこれからどうしたものか。わたしはこの万博会場内の大きさをディズニーやユニバ、ビックサイトかそんなレベルと思っていたが、そんなことは無かった。
でかい、とにかくデカくて広いのだ。幸いにもお手洗いや自販機なんかはその辺にごろごろしていたので困ることは無かったし、会場内至る所に休憩するベンチやらがあったので休憩スペースに困ることはありませんでした。
そしてどうしたものかと。パビリオンの予約の一つでもしていればそこを目指して歩いていけば良いんだが何せ予約は全敗、当日予約もチャレンジするもなかなか取れず…。とりあえず悩んでいても始まらないので、東ゲートから程近いミャクミャクハウスへ行くことに。
早速目標のひとつを果たすために移動。グリーティング時間が書いてあり、今並べば1時間と少しでミャクミャクに会えます、みたいな案内板があり、迷うことなく並ぶ。一応事前に近所のカインズホームで調達してきた軽量折り畳み椅子を装備し来るべきとに備えてスマホをぽちぽちとしつつ休息。実はこの時非常にヤバめの眠気がログインしており細切れに寝ていた記憶がある。幸いミャクミャクハウスはまとまった人数を入れてから時間まで待機列を止めるスタイルだったので列移動で焦ることはありませんでした。
そして…

ここがあのミャクのハウスね。
ミャクミャクが来る前にスタッフの方から一通り説明を聞き、ミャクミャクとの写真はまずポーズを決めてからワンショットのみです。時間が余ったら囲みで写真が撮れますと案内がある。
実は(たぶん今は抽選っぽいが)万博期間内に『ミャクミャクリワードプログラム』なるものがあり『ミャクペ』『ミャクポ』『ミャクーン』などをなんとかすると『ミート・ザ・ミャクミャク』と呼べる5分間だかミャクミャクを好き放題?できるVIP的なあれがある。一応わたしは日本語喋ってるぞ!65万ポイント。円に換算すると65万の札束でミャクミャクの頬を叩くのだ。…実際には半分くらいはチケット代だったり会場で何かしらのアクションをしたりするとポイントがもらえるらしい。ミャクミャクを札束で叩かなくてもいいんだね…。
スタッフのお姉さんが外のドアを開ける。いよいよか…!?と思ったその時。
開けたドアの壁越しほぼ対角線にあるカーテンがものすごく揺らめいている。めちゃくちゃアピールするカーテン。そう、ミャクミャクが、カーテンのすぐ向こうにいると激しめの自己主張をしているのだ。
そして勢いよく開けられるカーテン!なんと手動!そして自らの手でカーテンを閉めるミャクミャク。えらい。かわいい。
カーテンが開けられるとき、まさかこんな面白登場するなんて思っていなかったからスマホカメラをムービーにするのをすっかり忘れており、慌ててムービーを起動しました。
オタクあるあるの奇声を発する行為ですけどなんとか耐えた自分をめちゃくちゃ褒めたい。かわいいミャクミャクが映ってるのに自分のゴミボがあり、さらにそれを他者に見せるのが苦痛なので本当に頑張って耐えました。
先頭の人から順番に、1グループずつ写真を撮る感じで中は進みます。2人組なら両手を繋いで。家族連れなら真ん中に。わたしのようなソロプレーヤーには一緒にポーズ。
終わると女性や子供にはハグ、男性はハイタッチの人が多かったかな。
迫る順番。たぶんここ一番で緊張していたと思う。順番が来てスタッフの方にスマホを渡し、ミャクミャクに一礼。よろしくねと声をかけて、撮るポーズはもちろん『いのちのポーズ』!
事前に『はーい!ミャクミャクです!』を見ていて、おっちゃんとやっていたいのちのポーズ。わたしも、あれ、やりたい!
ミャクミャクにいのちのポーズのリクエストをして、自分の荷物を置いて、左手にはみゃく、右手は…なんとミャクミャクと手を繋いで。
万博とは関係ない全くプライベートな話になりますけど、少し前から関係が続いていた人と自然消滅かな、なんとなく、別れて、みたいな感じになって。
去年の年末、そして今年の新年に、ああ本当に終わったんだな、と割としんどい状況が続いていて。誰かと手を繋ぐ…なんて本当に久しぶりな状況だったから、油断したら声をあげて泣きそうになるなと。折角晴れの日なんだからミャクミャクもスタッフさんも困惑しちゃうね、と思い、流石になんとか泣くのを堪え、いまはすっごく楽しい気持ち!で写真を撮りました。
残暑の暑さなのか、自分の体温なのかはわからなかった。けれど、ミャクミャクと繋いだ手はとても温かくて。ぎゅっと手を握りしめてくれて。ひとりじゃないよ、ともだちだよと、そう励まされた気がしました。
写真を撮り終わるとミャクミャクとハグ。
ありがとう、会いにこれてよかったと、そう伝えてきました。
大袈裟だと思われるかもしれない。けれどわたしにとってミャクミャクは、ここ半年間での紛う事なき生きる糧でした。

色んなミャクミャクのオタクがいるけれどやっぱり幼女先輩にはかなわなかったです。いいんですよ幼女先輩は。お母様が作ったのかな、ミャクミャクのお洋服みたいなものを姉妹でお召しになっていて、もう可愛いのなんの。
きっと姉妹にとってこの経験は、きっと忘れてしまうかもしれないけれど、掛け替えのないものになったと思う。千と千尋の神隠しで銭婆が言っていた台詞
「 一度あったことは忘れないものさ 思い出せないだけで」
きっとこうなんだろうな、と。

スタッフの方が「ミャクミャクー。そろそろごはんだから帰るよー」と促されうん、と頷きつつ惜しまれながら退場。
ミャクミャクハウスの中を少し写真を撮ってわたしも退散しました。

なんだかこの時点でもう大満足。今日来てよかった。本当に良かった。充実感が半端なかった。
外は真っ暗!とりあえずミャクミャクハウス沿いに移動。大屋根リング下を歩きつつ、やっぱり来たのならどこかのパビリオンにはいりたい!と予約不要かつ空いてそうなパビリオンを探す、
なんとほぼお隣カタールパビリオン。予約なしで入れるそうでとりあえずえいや!と並ぶ。



中のカーテンがとにかく美しい。カタールって言ったらドーハの悲劇が日本では有名かしら。一応外交とかだと仲介業みたいなことで地位を築いていると聞いたことがある。海がとっても美しいね。
展示を見た後はちょっとした物販。このパビリオンでの売り上げがカタールの何かしらの糧になるのかしら、と思いとりあえずポストカードを購入。するとレジのお兄さん(多分日本人)が…「デーツ、どうですか?」
デーツ!デーツ!?原神でしか名前を聞いたことのないデーツ!当然…
「アッ、お願いします」
ちょろい。


柱すごい!すずしい!しかもすぐ入れる!ここは天国か!?なおレストランは…
砂の展示の隣にいたスタッフのお姉さんがちょっとだけなら触って良いですよ、と言っていたのでUAEの砂を触らせてもらう。
これが砂漠の砂…!砂も土もいっぱい触ってきた。だけど近所に砂丘なんてないから砂漠の砂だけは触ったことが無く、初めて触る砂漠の砂。すごくサラサラしてる!
地区だったりで砂の種類というか、石の粒だとか色だとかも全然違い、できることなら全種類触ってみたかったけど、おとなしく眺めるだけに留めてぶらぶら。ここの物販ではアクリルキーホルダーを買いました。
UAEを後にしてぶらぶら。ここがコロンビアパビリオン…!もうひとりいたらわたしは絶対コロンビアポーズしてました。
ブラジルパビリオン横の噂の休憩施設、中国パビリオン、シグネチャーゾーンを横目に見つつ押せそうなスタンプを押し、目についたのはコモンズD!
知ってる国からガチで知らない国まで、もう楽しくってしょうがなかったです。










色鮮やかな民族衣装や装束。




これは海図で、勉強のために用いるそう。これを覚えて現地の人は漁に出るそうで。
知恵の結晶だなあと、そう思いました。

プリズムエリート諸氏ならマダガスカルと聞くと天然ガスが出た〜!になると思います。わたしもそのひとりです。
でもこの会はきっと、いまのわたしたちにはすごく響くセリフで。
ゲスト登場人物のひとりが
「先進国の人たちは豊かな自然を守れという。けれどそれは自分たちにはいつまでも貧乏でいろということだ」(セリフうろ覚え)
と言っていた言葉がずっと耳に残っている。
確かにそうだ。発展するためには森を切り拓き電気を通し、野生動物を追いやり、人が住み活動できる街を作らなければ発展はない。
すごく難しい問題だな、と。自然がなければ我々は当然生きられない。かといって自然を守れと発展途上国に言えば裏を返せばずっと貧乏で居ろと…。皆が幸せになる方法はないんだろうか…。なんて、たかがフリーターが思考しても世界は何も変わらないと思う。けれど、知らないのと知っているではきっと雲泥の差になると思う。何もできないかもしれないけど、せめて心を寄せて思いを馳せるくらいはできたら、と思う。
コモンズの各パビリオンでスタンプを押しつつうろうろしていたら20時50分。お土産屋さんの最終入場が21時20分なので移動時間を考えないとそろそろ撤収しないと入店できなくなるな、と思い惜しみつつも撤収。
コモンズ、とてもいい。世界がぎゅっとしてる。謎楽器叩いたり振ったり、文化に触れて、すごく貴重な経験ができたなと、本当にそう思う。
地球儀を回して世界100周〜なんてね。
来た道をもどって東ゲートのジュンク堂へ。
入るのに少し時間がかかったもののなんとか入店。ずっと欲しかったムチミャクとかその他諸々を揉みくちゃになりながら購入。明日に備えてミャク帽もついでにゲット。
夏の万博では日傘を推奨していた。しかしコミケ参加組の同志諸兄諸姉ならわかると思うが、日傘は禁術なのだ。目に刺さると危ないのもあって、帽子とかが推奨なのだ。やっと倒したと思ったのに卑劣様の卑劣な術で犠牲の犠牲なのだ…。
本当は家に帽子いっぱいあったけどどうせならミャク帽がいいな、とぼんやり思っていたので当日だが帽子を変えて本当に良かったと思う。

夜の大屋根リングも素敵。風がちょっと冷たいくらいだった。
お土産を買って、トイレに行って、会場内BGMをぼんやり聴きつつ22時まで休憩。スタッフの人が帰りを促すととりあえず思い腰をあげて会場に別れを告げました。
夢洲駅には牛歩で進み、本町についたのは23時すぎくらいかな。結局会場で食いっぱぐれてしまったのでホテルに程近いなか卯で食事。何気に刃生初なか卯。うまうま。

戻る前に近所のコンビニで水やら何やらを買い、雨に降られつつ今日の自宅へ帰宅。
服がびっしょり!まあ仕方ないね!
服を着替えてベッドに横になって休憩。お風呂のお湯を溜めつつ明日の準備やら何やら。
見たいアニメを見終わってから入浴剤を投入し本当にゆっくり入浴。ゆっくり着替えて髪の毛乾かして…カバンから手紙を取り出し、書く!
乱文乱筆になってしまったが許してくれることを信じて封緘と切手を貼り、軽くおやつを食べてから就寝!
ダブルベットを独り占め。しかし持て余すのだった…。
長くなったので後編に続きます。
料理本のレシピに突如出てくるだし表記に頭を抱える
どうも、お久しぶりです。生きてます。生きてるって素晴らしいね。
本当は月に一度くらいのペースで穏やかに出来ていれば良かったんですが、そうは問屋が卸さなかった。残念。
最後の更新が2021年の7月。3年前とはたまげたなあ。
しかし濃厚な3年間。なんというか色々あったなあという忘備録。本当はちまちま下書していたんですが消失。なんてこったい。そんなこんなでモチベがだだ下がりここに至る。そして、今パソコンで入力しているんですが、ちょっとキーボードが言う事きかなくなってきた。掃除とかでなんとかなるのかしら。あとで先生に聞いてから色々手を打ってみます。最悪新調で。もう長い付き合いになるからね。化石!
ちょっと遡って色々軽く書いてみよう。
2020年末、当時付き合っていた女性と別れる。色々割愛するけれど、友達同士に毛が生えたような状態で、簡単に言えばさなぎの中で羽化することなく死んだ感じ。彼女との付き合い自体は一昨年の9月くらいまであるものの、その後正式に友達付き合いも解消。
2021年7月くらいまで生きる屍→魔道祖師にドハマりし生きる希望を見つける。
8月頭。大好きだった祖父が他界。奇妙な夢を見る。
9月くらい。メイドインアビスを知り度し難い世界観に身を震わせる。
年末。友人とぶらぶら出かける。
2022年1月。レジンなるものに手を出してみる。
2月。後にとても大切な人になる人物に出会う。刀剣乱舞無双でわいわいする。
3月。国広再臨はアツい。
4月。仙台うみの杜水族館へ。やはり水族館はいい。
5月。休館前の土方歳三資料館へ。兼さんかっこいいよ!琉球展(前期)も行ったなあ
6月。ミュージカル刀剣乱舞真剣乱舞祭広島公演へ。次の週は琉球展(後期)
7月。いろいろ頑張ったけど駄目な時もある。初めて原神に手を出す。
8月。人生初ヘアドネーション。わたしの髪は有効活用された!人生で一度は社会貢献したいよね。
9月。トマトソフトクリームという未知なる甘味を食す。
10月。色々な意味ですごく動いた月。ずっと続いていた関係をすっぱり断ち切って、新しい関係が実を結んだ月。目まぐるしかった、とにかく。
11月。と言うわけで初デート。デートと言うか最初は普通に遊んでいるつもりだった。Lineやメッセでの距離感に困惑していたが、のちに「恋人同士のつもりだよ?」と言っていたので、彼女ができました。とほぼ同時に母に乳がんが発覚。おお神よ。
12月。彼女とデート。惚気そうなので自粛。乳がんは検査に検査を重ね、あまり芳しくないとのことで年内中に点滴に漕ぎつけたい先生と相談し、なんとか年内に1回目の点滴を開始する。
2023年1月。ミュージカル刀剣乱舞江おんすていじを観るために母と大阪入り。配信で仲良くさせてもらってる視聴者さんとちょっと遊んだり。
3月。彼女とのデートに寝坊をして大遅刻。人生終わったと本当に思った。心なしか移動中の彼女が怖い。自分のやらかしなので申し開きも出来ず縮こまって終わった。
8月。ネットの友人と一緒にゲルテナ展へ。見ごたえあって楽しかった…!
…と、今に至る。
書いてない月はだいたい彼女とデートしたり母が入退院繰り返していたりで奮闘してました。しかし秋口から彼女が徐々に忙しくなり、プラス諸事情で月一のデートは厳しいのと色々あって冬の外出はあまり得意ではないこととインドア派と教えてもらったのでデートの感覚を調整している感じです。私としてはだいぶ悲しい。
そしてタイトルドン
がん治療の副作用でものが持ちづらくなった結果、母は家事一切がしづらくなり、わたしと父が家事を熟すようになりました。
父は洗濯はともかく料理が結構雑で…火力強めのひとで、ちょっと放っておくとすぐ焦げたりします。カレーとかはすごくおいしいんだけど、焼き魚とか壊滅的で、そんなときはわたしが、出勤時間に余裕があるときは夕飯を作って仕事に行く、という感じです。
しかし、毎回単純なものだと面白みがない…というレベルまで達していない。何故ならばわたしは料理が苦手。初心者でも出来る!などといったうたい文句のレシピ本を手に取りぱらぱらとページをめくり、意を決して購入。帰宅してじっくり読んでみるとそこに鎮座する文字
ダシカップ3杯
まて。どっから出てきた。出汁ってそんなにストックあるもんなん??
別にダシが嫌いな訳じゃあない。むしろおだしの旨味は好きなんだ。優しくてあったかい。
だけどな、料理あんまやらんやつにいきなり出汁はハードル高いて。
と言うわけで急きょグーグル先生に聞いて、顆粒だしで何とかなるというのを教えてもらい事なきを得たのでした。
レシピ本、油断ならねえぜ…
配信アプリでのらりくらり
去年の10月半ばくらいからREALITYというアプリで配信を始めました。
https://reality.app/profile/becc02a1?adj_t=8ogcewh_z9yhix5
友人に誘われてやり始めて、まあぼちぼち経ちます。雑談の様にだらだらとくだらないことを話していたりします。主に深夜に色々なことをお話ししていたりしますが、潜って聞いていただくだけでも大変ありがたいことです。
わたしの性格上、ブラックな事とか精神が病んでいること、自虐ネタを話の種にしようと毎度毎度思っているんですけれど、どうも配信を始めると聞いている人が楽しい話、そしてわたしも楽しい話をするように意識しちゃうんですよね。ごくごくたまに、ちょっとした愚痴をこぼすこともあるけれど、わたしが何度もループする愚痴を特に苦手としている(話は一応聞く)こともあり、あまりそう言った話をしたくないなァ…というのはぼんやりと思っています。
わたしはわたしなりに、一所懸命頑張っているのですが、やはりここも腐ってもインターネッツの世界。やはりどうしても評価が気になってしまう。
どんなに毎日頑張っても増えないフォロワー、配信しても誰も来ないなんてザラで。
一方わたしを誘った友人は15分程度の雑談を毎日だったり数日休んでもフォロワーは増えていき、ギフトを投げてくれる人も沢山いて。
平和に自枠(自分の配信)に遊びに来てくれる人と平和に歓談している。
かくいうわたしは、配信を始めるときからずっと恐怖に震えながら配信ボタンを押している。誰か来るだろうか。変な人が来ないだろうか。物凄い失言をしてしまわないだろうか。
わたしは口が悪い。以前勤めていた職場で部下(と言ってもとても年上のベテラン、そしてお局様)に面と向かって「あなたはとても口が悪いね」と言われたことがある。影で言われるよりはだいぶマシではあるのだが、それでも当時のわたしの後頭部を殴打するには十分な一撃だった。確かにわたしは口が悪い。これはだいたい父親譲りであり、我が家は基本(特に父娘の間柄では)暴言がデフォルトだった(注:父娘仲は非常に良好。暴言と言うが本気ではなく悪態レベル。ただし親には暴言なんて以ての外!という方々が見聞きしたら目眩を覚えるか泡を吹くか卒倒するんじゃないかな、と思う)。家でやっていることは表に出てからも出るなどとよく言われるが、この口の悪さがその当時は出てきてしまっていたのだろう。それから基本、長い付き合いの友人以外にはだいたい敬語でしゃべったりしている。ただ言葉の端々に悪い言葉が入るゆえに、聞いている人からは非常に慇懃無礼に映るかもしれない。
そう言ったこともあって、顔が見える実際でのお喋りよりも、このアプリでの配信の言葉遣いはとても気がかりになる。このアプリは自分のアバターを作って配信するのだが、それは顔を見られたくないわたしには良いことでもあった。が、細かなニュアンスが伝わりづらく、かつその場にあるもの(景色だったり建物や食べ物)から話題を引き出すことを得意としている自分にとって共通の見えているものがないと言うのは、なかなか辛いものがあった。
それによく、変な人が来る。無自覚な荒らしなのか何なのか分からないけれど、わたしの枠で何か変なご高説を垂れるのはやめてほしい。
毎回毎回人が来ないフォロワーが増えないと嘆いているのだが、よくよく考えると増えなくて当たり前なのだ。
この配信アプリのメインターゲットは10代から20代くらいで、彼らは『普通の世界』で生きている。普通の世界だよ、普通の世界。
朝起きて昼は働いたり学んだり、夜は家でゆっくり過ごして眠る。土日と祝日が休みで、盆暮れ正月に黄金週間はお休み。そんな普通の世界に生きている人が多い。その普通の世界に生きている人たちが視聴や配信に興じている時間は、わたしは働いているのだ。汗水たらして頭を下げて、最低賃金で生きている。そういうのもあるし、たぶんもっと貪欲にフォロワーを増やしたいのであれば、貴重な休みや皆に合わせる時間で自枠を設けたり面白い企画を考えたり、他者の枠に顔出しやあいさつ回り、コラボで参加して多くの人に自分を知ってもらおうという努力をするのだろう。
だがわたしはそれをしない。しなかった。わたしは自分がつまらない人間だと思う。そんなつまらない人間が無い頭捻って考えた企画が面白いかどうかは非常に疑問だったし、二次創作を嗜む身としては渾身のギャグ小説を書いたときに滅茶苦茶滑った苦い記憶があるので、きっとわたしにそういったものは似合わないのだろうと嫌でもわかっている。他者の枠に顔出しやあいさつ回りに行ったところで、それがこっちに戻ってくる保証なんて何一つない。自分の中で誰かに期待をすることが嫌いだから、純粋に行きたいと思っている人の枠だけ遊びに行くようにしている。あとスマホのバッテリーが持たない。許せサスケ。コラボ配信だってそうだ。自枠でやるにしても止め時がわからなくなるし、飽き性もあるから終わったらさっさと終了したいどうしても主役の座をコラボしてくれる人に譲ってしまう。他人(主に友人)の枠にお邪魔するときもあるが、もうここに来たわたしは借りてきた猫状態になってしまう。ミュートにしてないのに黙りこくって、ただ他の人の話を聞いていたりたまに相槌を打ったりしている。
加えて、配信時間に対する努力を怠っている。幾ら帰宅時間が遅くとも、夜の24時や25時くらいならまだ人が居る。だけどわたしはその時間に配信はしない。なぜならば深夜アニメが優先という舵を切ってしまっているから。
とどのつまり、配信に対して真摯に接していないから、自分なりに頑張ったはいいもののそれだけで終わっているのだろう。わたしはそう思う。何の努力もしていないのに他者を羨んで腐っていた自分が嫌なのだが、同時に何で他人に合わせなきゃいけないんだ?と言う開き直りにも近い思考が途中に出てきているので、一時期は精神的に病んでいたものの今は「だけど何か?」と言いたげに開き直っています。
「ついてこられるやつだけついてこい」
などと思っている。もちろんそれ抜きにして、カリスマもなければ人望もない。見ず知らずの人たちと群れるつもりはないのだろうと自己分析。慣れ合うのは大好きなんだよ。だけど一気に大勢の人と群れるとパンクしちゃうしあなたと分かり合えない。だから少人数でお話したりしたいんだ。……そう自分では思っているのだけど、きっと伝わらないからここに書き殴っておこう。
とりあえず1年は頑張ってみます。『普通の人』は3か月もしないうちにフォロワーを100人や200人獲得してすごく高いギフトを配信中に投げてもらえたりするらしいんですが、わたしはいまだに100人も行っていないです。某所ではいわゆる『泡沫配信者』の部類に入るらしいですけど、油の張った水に消えずに残っている泡の様になんとか残ってはいます。が、1年経って100人超えてなかったらROM専にでもなろうかな。
正直な話、配信しようなんて思っていなくて、ただ友達の枠を聞きに行って、後方彼氏面してるだけで結構満足なんだよなあ…。
祖母が他界しました。
去る三月下旬(2020年)に祖母が他界しました。残念ながら今流行のコロコロではないです。
見送りも一先ずは終えたので、頭の整理がてらつらつらととりとめのないことを書いていこうと思います。
祖母が他界する数日前、わたしは元気に労働に勤しんでいました。
仕事を終えて自宅に帰り暫くしていると母親がぽつりと「おばあちゃんが倒れた」と言った。
それを聞いたわたしはぽかんとしたし、何かの冗談だと、最初そう思った。わたしが直接見たわけでも聞いたわけでもなく、又聞き。確証も確定もされていないその言葉に、本当に冗談だと思っていた。何かの見間違えだと、聞き間違えだと。
母親的には今すぐにでもすっ飛んで行きたかったようだったが、自分の病院があるので数日先延ばしにする…と言う感じで話を聞いていた。
その日から母は胸が痛い、と時折胸を押さえていたのだけど、これは恐らく虫の知らせか何かだったのだろうと、今はそう思う。
一日か二日後あたりに叔父さんから電話があり、祖母の血圧がゆっくりと低下している、と知らせを受けた。どうやら病室から電話をしているようで、叔父さんはわたしに「何か声をかけてやってくれ」と言っていた。
わたしにとってそれは現実味がなく、どう声をかけていいか見当もつかず、支離滅裂な、雑談めいたことを言っていたと記憶に残っている。母に替わってほしいと頼まれ、離席中だった母に事情を話し携帯を渡すと「頑張ってね!!すぐ行くから、頑張って!!」と精一杯の声量で叫んでいた。
わたしはこのとき、祖母が本当に危ない、と初めて認識した。
次の日、母の病院が終わり、最寄りの駅で彼女の分の新幹線の切符を購入し、さていつ乗ろうかと母から相談を受け、わたしは明後日がいいのではないかと答えた。
万が一の場合の礼服の手配や、主に着替えや諸々。あまりにも急すぎたので準備が整っていなかったのが原因だったのだが。不幸中の幸いかどうか分からないが、次の日はとても強い強風で新幹線は止まり、祖父母宅に行く電車も少し怪しい…とそんな一日だったから出発しなくて正解だったと思う。
そして母は祖母が入院している病院へ向かい出発した。
わたしはわたしで仕事なり毎日の食事だったり、祖母が回復するか、あるいは…と言う何とも宙ぶらりんな感じで日々を過ごすのだろうと、その時はそう思った。
しかしそれは急に終わりを迎える。
わたしはいつも明け方までのんべんだらりと起きている。次の日に備えてそろそろ眠ろうと床に就き、うつらうつらとしているとわたしのスマホから着信音が鳴った。
着信の相手は母親。この時点で何となく察しはついた。受話器の向こう、母親が「おばあちゃんが亡くなった」と小さく言った。わたしは「わかった」と短く答えて電話を切り、父の部屋へ行くと寝ている父を起こして祖母が他界したことを告げた。
わたしは寝床へ戻るとぼんやりしながら母の言葉を反芻していた。
何時もなら気絶するように眠れるのに、その日はなかなか眠れなかった。
わたしの記憶が途切れたのは、外がもうしっかりと明るくなったときだった。
次の日、わたしも父も仕事に行った。わたしはすぐにでも行きたかったのだが、家長が判断したのだからそれに従うことにした。きっと何かわたしが知らない事情があるのだろう。仕事を終えて帰宅したわたしは自分と父の準備に取り掛かり、翌日朝方に上司に連絡し、自宅を出発したのは昼過ぎだった。
お通夜には間に合わない、それは承知の上で、母も事故が無いようにゆっくりおいで、と言ってくれた。なにせ自宅から祖父母の居る所までは車で片道7時間前後かかる。休憩時間を入れればもう少しかかるだろう。もちろん短縮できなくはないが、そっちの道はデメリットもある。遠距離はまず、幹線道路や知っている道を使った方が確実だし、田舎のガソリンスタンドの無さを舐めてはいけない。わたしの運転で、まずは怪我なく事故なく辿り着くことが第一のミッションだった。
わたしの頭の中はさながらシュレディンガーの猫だった。本当は何かの冗談か、そう思った。
刻々と過ぎる時間に比例して近づく目的地。運転自体は苦ではないし、別段逸る気持ちは特になかった。
だけど斎場について、棺の中で眠る祖母を見たときは、言葉が出なかった。
言葉が出てこなかったと同時に、出てきたのは後悔だった。
どうしてもっと祖父母宅に来なかったんだろう、電話越しでも構わなかったからもっとたくさん話をすればよかったとか、出てくるものは後悔ばかりで。
棺の中で眠る祖母は、化粧も相まって非常に血色が良く、まだ生きているんじゃないかと、そう思ってしまうほどだった。今にでも起き上がって、声をかけてくれるんじゃないかとか、そう思ってしまった。
父と共にひとまず残してあった料理を食べる。来る前に食事を済ませていたのだが、なんとなしに食べなきゃいけない、とそう思いながら食べていた。
父は寝ずの番を務めると言う事で斎場に残り、母と私は祖父母宅へ行くことにした。次の日も早いので、お風呂に入ってから諸準備をするとわたしは眠りについた。
次の日。礼服に着替える。何度か袖を通したことがあるが、いずれもそれは他人や遠縁の親戚だったり、知らない人の葬儀に参加するためにしか袖を通したことが無くて、なんというか不思議な気持ちだった。
お通夜には参加できなかった分お葬式は最初から参加をした。棺の中で眠る祖母は、昨日と変わらない。式は滞りなく進み、スタッフの方が故人に言葉をかけたり触ってあげたりしてください、と言っていたのでわたしは祖母にそっと触れた。
…とても、ひんやりしていた。
人生で冷たいものには何度も触れたことがある。冷水、氷、冷たい掌、深海の温度を模した鉄棒……。しかしそのいずれにも該当しない、冷たくなった人間の体温。いくら手が冷たくても、その冷たさの中に温かみがあるのが人間の体温と言うものだろう。だが、故人である祖母にはその温かみがない。この時わたしは、ほんとうに祖母が鬼籍に入ったのだという現実を突きつけられた。後頭部を、なにか見えない塊で殴られたような、そんな衝撃を受けた。この時の死者の温度は、きっと一生忘れないだろう。
だがそこで立ち止まるわけにはいかない。体が悪く式に参加できない祖父の代わりに祖母の写真を多く収めないといけない。
例え遺族――いやわたしも遺族だが――の許可があっても死者の写真を撮るのは憚られる。撮っていいのだろうかと二の足を踏んでいたが、母が「おじいちゃんのためにも撮ってあげて」と背中を押してくれたので、心の中で合掌をしてから棺の中で眠る祖母の写真をたくさん撮った。ひとりだけのも、母や叔父たちと一緒にフレームインしているものも撮った。暫し自由行動をしていると、火葬場に移動するというので、わたしは両親を車に乗せて霊柩車の後をついていき火葬場に移動した。
その後、諸々の手続きやさいごの挨拶をして、祖母を納めた棺は火葬するための炉に入れられた。
炉で焼かれている間は親族たちが和やかに歓談をしている。わたしは自販機で飲み物を買って飲みながら施設内にある喫煙所でぼんやりと煙草を吸っていた。喫煙者である叔父さんと、ほかのわたしの知らない人が煙草の話を興じている。
一服が終わるとわたしは父のとなりの椅子に座った。母は肉親であるから色々あるだろうけど、父はそうでもないし、わたしはとりあえず手持無沙汰をなんとかしようと父の傍に行っていた。何かあれば父が知恵を貸してくれる。わたしは父が大好きだから、有事の際の父は非常に頼もしいひとだ。
父も知り合いの人と雑談に興じていた。恐らく中には知らない人も居るだろうけど、父のコミュニケーション能力は半端ない。冗談交じりで会話を進めていく。わたしは知らない人だらけの中父の隣でスマホを弄っていた。ありがとう現代の利器。
そうこうしているうちに火葬が終わったとアナウンスが入る。火葬が終わったばかりの部屋に入ると、入る前より部屋の中がとても暑かった。きっと、たぶん恐らく、人を燃やしたあとの熱なのだろう。
部屋の真ん中には祖母の遺骨が横たわった状態で安置されていた。わたしが遺骨を見たのは、人生で数度あるが、その中でも群を抜いて残った骨の数が少なかった。
晩年寝たきりだった祖母の骨は脆く、確かに残ってはいるのだがあまり数は多くなさそうな印象を受けた。何れは父も母も、そしてわたしもこうなるのだろう。父母はともかく、わたしには誰か看取ってくれる人が居るのだろうか。骨壺に骨を納めた後、わたしはぼんやりとそう考えていた。看取ってくれる人が誰もいなくても、役所のひとでもいいから、最悪わたしの棺には子供の時から共に過ごしたぬいぐるみを1体入れてほしい。おはようからおやすみまで一緒に暮らしている家族であり友であり恋人のような子なのだ。その子がいれば、あの世でもまあ何とか楽しく暮らせると思う。しかしよくその火葬場の注意事項・棺に納められるものの欄を見たらぬいぐるみは×と書いてある。後生だから入れてほしい。それさえあれば他は何もいらない。
話が逸れたがその後お寺に移動して先に四十九日法要をやったんだと思う。だがこの道中、火葬場からお寺に移動するときにトラブルが起きる。両親と叔父たちは骨壺、遺影、位牌を持ち、ひとりは運転だったので同じ車に乗る。しかしその車はわたしの車ではなく叔父の車だ。わたしはというと、ひとりで行くのかなと思っていたらなんと故人への供え物を手に持った男子高校生がわたしの車に乗り込むことになった。わたしの頭は混乱した。確かにその男子高校生は火葬場はもとよりお葬式にも居たと思う。わたしが全く知らないだけで、母は知っているのだと思うけれどこのコミュ障に未知の生き物である男子高校生をぶつけるのは如何なものかと思う。案の定、道中暫く無言が続いた。
わたしは沈黙が嫌いだ。
車内の音楽はわたしが普段聞いている音楽が流れていたし運転していたことも相まって我慢できなかったわたしは勇気を出して沈黙を破った。
それを皮切りにわたしは道中彼と雑談に興じる。部活はどうだとか、進路はどうだとか、趣味はなんだとか。幸いにして彼の趣味の一つであるゲームにわたしは比較的広く浅く手を出しているので、どんなゲームしてる?みたいな感じで話に花を咲かせた。どうやらモンハンだったようで、わたしもモンハンはそこそこやっているので上手い具合に話題には事欠かなかった。やはり人生いろいろ手を出してみるものだと思う。
そうこしているうちに寺に着き、わたしは彼と歩を進めて境内に入る。両親と合流するとともに彼との会話は終わりを告げた。
諸々行事が終わり、祖父母宅へ帰る。家から動けない祖父の為に、精進料理は祖父母宅で取ろうと言う話らしい。わたしは邪魔にならないよう2階へ続く階段の途中で座っていた。
和やかに歓談しながら仕出し弁当を突き食べる。和食がメインでキッズのような舌を持つわたしの口には合わない料理もあったが、なんとか胃の中に収めた。
そんな中祖母の親戚なのかわたしは全く知らない人だけど、お兄さんが一人『能力者』のようで「祖母が見える。叔父(末弟)のことが心配で居間と台所をうろうろしてる」などと言っている。ほかにもわたしの隣に座る女の人の守護霊というか、猫飼ってる?傍にいて心地よさそうにしているよ、とか後ろに亡くなった方が居て守っているよとか言っている。どうやらマジモンの『能力者』のようで、狐の神様か何かを体内に入れているとも言っていた。どうやら他人の死ぬ日がわかるらしい。デスノートの死神と取引でもしたんか。だがそれを他人に言うと自分の寿命が縮まるし、自分がいつどうして死ぬということも分かっているから、みだりに言わない様にしていると言う事だった。
そんなお兄さんが帰り際に、叔父(次男)に対して意味深なことを言う。「すごく黒い靄がかかっているから、暫く気を付けた方が良い。取り返しがつかないことが起きる」
その時は叔父は酒が入っているせいもあってへらへらしながら大丈夫、気を付けると言っていたしわたしも話半分で聞いていたが、そのお兄さんの忠告はその夜現実のものとなった。
人間の死後、死者はどうあれ遺族間では揉め事が起きることが多い印象がある。遺産だったり何だったり、理由は様々だ。
次男と長男で喧嘩が起きた。理由は至極簡単、金銭関係。
わたしは居間でごろごろしながらスマホを弄っていたが次男も居間で酒を飲んでる。詳細はわたしにもよくわらかなかったが、次第に尋常ではない空気を孕んでいることに気付いた。気づいた時にはわたしも逃げるタイミングを逃して苦笑いしかできなくなっていた。
「金、金、カネって兄貴はそればかり!わかった!俺今から100万おろしてくるから、それ手切れ金。明日にはここを出て行って、この家とは縁を切る!」
物凄い剣幕で啖呵を切っていた。この時長男は自室に戻っていたが、ここ数日の金銭関係の鬱憤が爆発して堰を切ったように溢れ出していた。わたしは話を聞きながらあのお兄さん本物だな…とぼんやり思っていた。
近場に居た母と一通りの家事を終えた末弟が次男を宥めていた。わたしはいたたまれなくなってトイレ行ってくると席を立ち、用を足した後戻るのも嫌だったので階段に座っていたがまだ肌寒いのもあって居間の隣で寝ている父の隣の布団に入ると終わるまで耳を塞いでいた。
その後の事はよく覚えていないが、とりあえず縁切りまでには発展しなかったものの長男と次男はぎくしゃくしていて、他人行儀になっていた。最低限の会話はするがそれ以外は無し。例えて言うなら会社でどうしても嫌いな人と仕事しなきゃいけないときの作法のような、そんな感じだ。
そんな形で祖母の葬儀は幕を閉じた。母はまだ残っているとのことで、祖父母宅に残し、わたしと父は仕事があるからと着いた日から帰るまで4日間過ごしてから自宅に戻った。
この数日間はいろいろあったと思う。ただ、わたしはおばあちゃんっ子じゃないから、祖母の他界ではあまりダメージは受けなかった。だが、それはつまり逆である。わたしはおじいちゃんっ子なのだ。小さい時から祖父母宅に行けば祖父が海に川にと連れて行ってくれて、祖父の持つ小さな舟にのって釣りに出かけたりしたり、色々なことを教えてもらったりした。わたしは幼いながら、祖父と出かける海が大好きだったし、舟に乗って普段はいけないような所で船酔いしながら過ごすのがとても好きだった。祖父の作るいわしのつみれが、とても好きだ。
今(2021年7月)両親から聞いた話だと祖父は肺炎を患って入院中らしい。コロコロではない。実しやかな噂だが、半年持つか持たないか…などと噂されている。
祖父が他界したら、わたしはいったいどんな顔をするのだろうか。できればあまり想像したくない。それでも僅かな可能性があるのなら、祖父には少しでも長生きしてほしい。
単なる孫の我儘を綴ったところで、この話はここで終わりとします。あれから1年と少し経ちましたが、コロナの影響で祖父母宅には行けずじまい。早くなんとかならんかなあ……
友人の結婚式に寄せて
結局はこういうスタイルに落ち着くと言う(書き方の話)
先日は中学からの友人の結婚式だった。
黙っていれば可愛い彼女の事だから遅かれ早かれ結婚するだろうな、と昔から思っていたが遂にこの時が来たか…と戦に臨む武士のような心持ちだった。
Twitterには文字数の制限の都合上色々書けたり書けなかったりがあるが、なに、ここはわたしのブログだ。あることない事津々浦々と書いてやろうじゃあないか。
わたしは生まれも育ちも東京であるが小学校卒業後に諸事情あって現在の住まいに引っ越してきた。右も左もわからない自分にとっては慣れ親しんだ東京とは打って変わって日本代表も真っ青なアウェーだ。方言を使うクラスメイト達にニュアンスで何とか応えたりしていた折に、わたしは後ろの席の子と仲良くなった。その子が切っ掛けで、高卒後にはほぼ連絡の取れなくなったA嬢、このたびの大変めでたい場に同席したY(以下神)とよくつるむ様になっていた。
彼女らがきっかけで他にも何人か友人が増えていくのだが、新婦もその一人だった。
最初に会敵…エンカウント…会って喋った時の感想は「個性的なひとだな」と思った。ただ悪いやつではないなって思ったから、今もこうして良い関係が築けているのだと思う。
最初はクラスも違うのでなかなか喋る機会はなかったものの、我が母校はいわゆるヤンキー校みたいな感じで、授業がだるいから帰りのホームルームしか出席しなかったり、授業中にふらっと廊下に出て出歩いたり、敷地内からタバコの吸い殻が見つかったり、トイレからお酒の缶が出てきたり、喧嘩でガラスを割ったり、校門前の道路を爆走するマフラーを吹かしまくったバイクが現れたり、新聞沙汰になったらしいリンチで後輩をシバいた奴がいるとかなんとか、だいたい実話だがなかなか世紀末み溢れる学校だったためこの学年だけ3年次もクラス替えがあったと言う真偽不明の噂を聞いがその際に同じクラスになったことでよく話しつるむ様になった。そんな折に彼女の自宅とわたしの自宅が近いと言う事を知った。
高校は違う学校に進学した。彼女と神は学科は違うものの同じ学び舎に通い、わたしがあずかり知らぬ親交を深めていったのだと思う。わたしもそれなりにメールなどでやり取りをしていたが、やはり日常の渦と言うものはすぐに郷愁を押し流し高校の頃の友人に時間を割き、当時のめり込んでいたゲーセン通いを加速させていった。とはいうもののそこはヲタク。地元で開かれるイベントなどで出会ったりあらかじめ一緒に行くことを決めておけば、一緒に行ってわいわいしたりするのであった。
高校を卒業し、わたしは地元企業に就職した。就職してから確か記憶が正しければ彼女は東京に上京し、美術の何某かの教育機関に通っている、と言う話をたぶんmixiかメールか、恐らくそのあたりのツールで聞いたと記憶している。
それからしばらくしてわたしの普段の時間つぶしがmixiからTwitterに変わって少しして、彼女がTwitterをやっていると言うものだから相互フォローしてとか何とかやって、こうして現在に至る。
彼女が東京から地元に戻ってきたときは神と3人で飲んだり、20代も後半になってきたときにはお互い平日休みの時に山だったりうろついたりして遊んだ。会っても居ないし連絡も取ってない時期は確かにあったけれど、Twitterと言うツールのお陰で彼女が平常運転だと言うのが手に取るように分かっていたし、個性のとがり方が半端ないのでそれはそれで変わっていないことがわかって安心した。
彼女が旦那氏と付き合い始めてから一度だけ彼女と旦那氏と神とで、彼女の家で宅のみをしたことがあるが、その時から割と結構イチャイチャしていたので、友人に彼氏を紹介するっていうのは、まあそう言う事なんだろうなと思ったし、まあそうなったな、と思う。神はわたし以上に何度か彼女らと飲んでいるらしいが、わたしより長く深い付き合いをしているのだから妥当かなと思った(謎の上から目線)
そして月日は流れ昨年10月、京都で刀剣の展示があるので目覚まし代わりの母を連れて京都に足を運び、ホテルにチェックインして荷物を置き、夜の京都タワーでわいわいしてるのをTwitterで呟いていたらそのリプライに
「結婚式やるからお前来いよ!」
始発で地元を出て乗り遅れまいと急いで新幹線ホームの売店で朝食代わりの弁当を買い、追加料金のかからない時間帯の新大阪行きの新幹線に乗って、京都に着くなり荷物を預けて行きたいところを少し巡り、平日にも関わらず京都国立博物館の人の多さと展示物の充実さに思考停止し、お土産や図録を買ってさあホテルと言った折に宿泊先からオーバーブッキングのため京都ホテルオークラに移動してほしいとお願いされて承諾し、ホテルに着くなりお偉い人から名刺を手渡され深々と頭を下げられ、ウエルカムドリンクの水をがぶ飲みしてちょっと一息つき夜の京都に繰り出して緊張の糸がふっと解けている中での寝耳に水嬉しい知らせに驚きと喜びと「いや今かよ!」と言うちょっとのツッコミをしつつ、既に入籍は済ませているとか言うものだからわたしの頭の中でヤバイTシャツ屋さんのハッピーウェディング前ソングが頭を流れたのであった。
ヤバイTシャツ屋さん - 「ハッピーウェディング前ソング」Music Video - YouTube
後に神と遊んだ時に「あの時は大人しかったが旦那も滅茶苦茶ぶっ飛んでる」と聞き、この嫁にしてこの旦那ありというかこの旦那にしてこの嫁ありというか、そんなものが浮かんだから恐らく別れることはない、と思う、たぶん。こればっかりは断言出来ないから夫婦関係が持ちつ持たれつ末永く続いてくれると非常に嬉しい。
そんなこんなで年末にそれとなく上司に伝え、年が明けて日付が確定した折に休みの申請をいち早くし、2か月前にはホテルを予約し、1か月前にお呼ばれドレスを調達し、ぎりぎりで小物類とヘアサロンを調達しと、改めて参加する側も結構骨が折れるなとそう思ったが、友人の晴れ舞台、ここでやらなきゃ女が廃るってことで気合とか諸々でひとまずは乗り切りました。
わたしの詳細な行動とかも書こうかなと思いましたが、それはまた後で。
しかし彼女が結婚か…。兎にも角にも、夫婦仲は良好みたいだしこれからも仲良く過ごしてほしい。
あまり身近に結婚する人間が少ないので何といえばいいか言いよどむのだけど、そもわたしたちくらいの年齢ならとっくに結婚して子供がいてもおかしくないんだよな、と。そう考えると一縷の望みと言うか希望の光のように見えてくるが、なんだか自分のことだと思えるくらいに酷く安心しきっている自分がいるのも事実。
例えばこの年齢でやれ婚活だなんだと躍起になっている女性にとってはこの「友人の結婚式」と言うものは悲喜交々と言うか、めでたい気持ちやら嫉妬やら羨望やらが入り混じり何とも言えない気持ちになるのだろう、と思う。
わたしは、どうなのだろう。
書いていて思ったのだがこれを考えると闇しか見え無さそうでちょっと怖いゾ。闇と言うか無だと思う。これもまた別の機会に。
何だかんだ言って彼女も無事に将来の伴侶を得たことは嬉しい限りだし、神をはじめ高校時代の友人も器用にやれば結婚できなくない、とわたしは思っている。
皆、わたしと違って才や学ある友たちだ。
神は絵がうまいし姪っ子で慣れているのか子供の扱いも上手い。
S嬢は可愛いし自分の考えている事や目標がしっかりしている。
馬氏は家事全般が得意で家庭的。胃袋を掴むのは王道。
N嬢は鍵盤がうまいし頭も良い。石橋を叩いて渡る堅実性と経験したことをユーモラスに語ることがうまい。
提督は嫁が居る。理解者が居ると言うのは一番の強みだ。
K氏はゲームがうまいし、しょっちゅうどこか行っている。職業柄と言うのもあるんだろうが、趣味に対するフットワークは軽い方が良いしバイタリティーもあるし何より優しい、いい奴だ。
確かにそれぞれ欠点はある。生きているからこそ。だがそれを補って余りある長所が光っているし、その武器をうまく使える様になれば道は拓けてくると思う。皆それぞれの光が、今のわたしには少し眩しいのかもね。
話が逸れてしまったが、友人が結婚してマジでとてもガチで嬉しいです。マジパねえ的な。
締めの言葉をどうしようか迷っているけどいいものが浮かんでこないし眠いしもうこんな時間だしちょっと古く平成的に締めようと思います。
祝ってやる!リア充末永く爆発しろ!!