花との触れ合い
先日自宅から2番目に近いスーパーの花屋に立ち寄った。最近の趣味は切り花を玄関に飾ることが唯一の救いになっている。
画像はキンギョソウとカンパニュラ。実はキンギョソウだけの購入の筈が、店員の方が「今日はおすすめが無くて、花の本数も少ないし最後の1本だから」と気を利かせてくれてサービスしてくれた。
立ち寄ったことのない花屋さんだったけれど、初見のわたしにも気さくに話しかけてくれたりサービスしてもらったので、このお花屋さんにはまた立ち寄りたいと思う。
ちなみに、わたしには活け花やフラワーアレンジメントの知識は皆無。母は学んでいたことがあるらしいが、わたしには縁遠い話である。だから、買った花を水切りして水の量を調整して延命剤を入れて水に浸かる葉が無いように調整するだけで精いっぱいで、どこをどうしたら花が綺麗に見えるとか、そういう堅苦しいのは考えていない。
堅苦しいは言い過ぎかもしれないですね。ただ、自由に。そうありたい。
花の手入れをしているときは、職場の人間関係や家庭での家族のしがらみ、ネット上の知り合いからの脱却といいことづくめで、花と言うすごく身近な自然に触れて無心になっていればいいから気が休まる。
そう言えば以前PSYCHO-PASSの槙島聖護がこんなことを言っていたのをふと思い出した。
槙島:紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない。
チェ:そういうもんですかねえ
槙島:本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。
チェ:調整?
槙島:調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える。
調子が悪い時でもスラスラと内容が入ってくる本もある。何故そうなのか考える
精神的な調律?チューニングみたいなものかな。調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。
アニメPSYCHO-PASSの槙島聖護先生が典型的な紙の本原理主義者であると話題に | 脳味噌はなまる
なるほど、とわたしは思った。彼にとっての調整が本と言うツールならわたしにとっての調整は花と触れ合う、と言うものなんだろう。
確かに彼の言う通り紙の本は良い。調子が悪い時に紙の本をペラペラ捲ったときとか、実に良い刺激が伝わってくる。
話が逸れてしまったが、わたしにとって花の手入れや世話をしているときは、自分の置かれている立ち位置や精神状態をリセットまではいかずともニュートラルな状態に戻すことが出来る…と最近感じていた。飽き性のわたしが去年6月に始めた切り花を飾ると言う趣味が、10ヶ月続いている。花なんてとりあえず花瓶みたいなものと水があればいいだろ、などと思っていたわたしだったが、母がはさみを家のどこからか見繕ってきて切り戻しをするという作業があることをその時初めて知ったし、切るときは真っ直ぐではなく斜めに切って面積を大きくするというのも初めて知った。
暫くして切り花や枝もの、葉ものの処置の仕方が書かれた本を書店で購入したり、大きいものから小さいものまで花を飾れる容器を買いあさったり母から譲ってもらったり、切り花延命剤を試行錯誤しながら良いものをみつけたりと、楽しくハマれて自分が楽しいと思える趣味のひとつになっていった。
つい最近は枝切ばさみをホームセンターで購入した。先月に桃の枝を購入したのだが、手入れをする際に
- 十字に切る
- 切り戻し
前者は持っているはさみでなんとかなるのだが後者が曲者で、枝が太いものだとどうしても切れずに慌てて駆け込んで良いものを購入することにした。
水揚げ自体はうまくいっていたみたいだが、どうやらわたしが購入した時期に出回る桃は寒さと乾燥が重なると咲かないらしく、取れやすいつぼみを如何にして落とさない様に苦心していたら咲いた花は全体の2割~3割弱に止まるのみと残念な結果に終わってしまった。
来年また挑戦して、今年よりも多くの花を咲かせたい。来年は乾燥と寒さに気を付けて再挑戦しよう。